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No.13|初期条件と学び

  • Four Ring Newsletter
  • 2013年04月07日

新年度を迎えた。社会人としての元旦である。

我が教室にも初期研修を終えた3名の先生が医務室に登場してくれた。熱気むんむんと言えば、聞こえはいいが、カンファレンス環境としては、褒められたものではない。息苦しくなるような人口密度である。この上、間もなく、脳外科選択実習の学生5名と臨床実習の5年目学生が加わる。大げさではなく、部屋の温度が2-3度上昇する。嬉しい悲鳴と言う言葉があるが、これは、本当に、「悲鳴」である。
病院長になり、いわば、与党党首となってしまった以上、欲張り村の村長(あの武見太郎、元日本医師会長が、当時の医師会会員のほとんどをこの一言で揶揄していた)ではいられない。ただ、天地神明に誓って、少々、自慢させてもらえば、教授になってから、少なくとも、田舎の代議士のような地元権利(わが**講座)の代弁者になることだけはしたことはない。大所高所からと言うには、小物ではあるが、広い視野から、物事を水平、垂直に全体を俯瞰することを一貫して心掛けてきた。その意味では、病院長になろうが、一教授であろうが、「君子豹変せず」である。ことほどさように、この外面(ソトヅラ)の良さで、教室の先生方には、多大な迷惑をかけてきたに違いない。
とは言え、入局者が、数年にポツラポツラというのが常態化していたこの脳外科教室に、有難いことに、毎年、多くの入局者が来てくれるのは、慶事である。少々自慢させてもらえば、学生に阿ることなく、放置することなく、丁寧に誠意をもって学生教育に熱心に当たってきた教室諸兄の地道な努力の賜物である。

さて、至るところ、新規採用・新人セミナーが花盛りである。今年は、病院長を拝命したせいもあり、多くのセミナーの開始の挨拶に出かけた。すでに何度も告白してきたように、根っからのチキン・小心者である。この場だから白状するが、大勢の前で、挨拶となると、もう、少なからず、上がっている。精一杯準備した洒落たキーワードの半分も披露できずに、「これで挨拶に代えさせていただきます。チャンチャン」となってしまう。とは言え、あのジョン・F・ケネディでさえ、駆け出しの頃の演説は聞くに耐えがたいものであったと言う都市伝説を信じて、自分を慰めて、伸びしろに期待している。

 さて、前置きが長くなったが、ここで、ようやく本論である。つまり、チキンである宝金教授・病院長が、言葉足らずの挨拶で語り切れないメッセージを文字で伝えたいのである。
教室の目標を三つの動詞に表現していることはご存知と思う。「学ぶ、伝える、極める」・・・・である。大学の講座のミッションは、この3つで言い尽くされている。新人の先生にとって、まず、「学ぶ」ことが最初の目標である。最近は、医学教育を含む全ての教育においても、いろいろなことが書面化され、プロトコール化し、ワークショップは当たり前になっている。「多様性」や「コミュニケーション能力」などの言葉は耳にタコである。ご説、ごもっともである。しかし、こうしたセミナーにはもっと時間をかけ、内容もさらに充実させるべきである。こうしたトレーニングを経ないで、「よろしくお願いします」となるのは、そもそも、実弾の飛び交う戦場に、無防備でフラフラと出てゆくようなものである。本人はおろか、職場や患者さんにも実質的な被害が及ぶことになる。グループワークもロールプレイも優れた方法で、最初に接した時には、カルチャーショックとも言える違和感をあったが、今や、熱烈なロールプレイファンである。そもそも、演劇をしたいと思っていた私である。あの「化け感」は、ある種の変身願望を満たしてくれる。

 しかし、「学び」の本質は、無条件・全面的な自己投企だと思っている。自己投企などと言うと、遡れば、サルトルやハイデガーの難解な実存主義の話になってしまうが、面倒な理屈は省略して、要するに、「学び」の本質は、プロトコール化されたマニュアルにあるのではなく、「師匠」と考えられる人間に、何の疑念もなく、アプリオリに、自分を放り出すこと=<自己投企>と考えることができる。周囲には探せば、優れた外科医、あるいは、優れた臨床家がいるはずである。彼らをメンターなどと最近は呼ぶ。そのメンターの手術や手技、診察技術、患者とのコミュニケーションのやり方はもちろん、一挙手一動、語り口・・・全てを「真似る」ことが、「学び」の本質である。師と寝食共にし、三歩下がって、師の蔭を踏まず・・・と言うと、何やら、武術かマーシャルアール、将棋、囲碁の世界のことのようであるが、「学び」の本質はそうしたメンターに出会い、自己投企することにある。特に、外科ではこれは本質的な暗黙知に迫る唯一の方法と確信している。
 うそだと思うなら、だまされたと思って実行して見て下さい。師が、カレーを注文したら、貴方もカレーを注文しなさい。師の使う語彙を丸暗記して下さい。手術室では全ての立ち居振る舞いを覚えて、真似て下さい。師が帰宅するまで、一緒に、どんなつまらない雑談も一言逃さず聞いて下さい。あなたの臨床力は、めきめきと伸びること請け合いである。
 それじゃあ、まるで、明治以前の藩校か、あるいは、剣術指南の道場ではないですか!
千葉周作、吉田松陰の世界ではないですか! と言う批判も当然である。しかし、多くの心ある教育者は、日本の教育レベルが最高に達していたのは、明治維新に至る藩校の制度であったと確信している。
 加えて、最初に出会うメンター=初期条件の重要性は論を待たない。この点は、繰り返しになるので、北大病院のHPの卒後研修センターに寄せた私の拙文を参考にしてほしい。(http://sotsugo.med.hokudai.ac.jp/hu-hospital/index.html)
臨床医学は、複雑系の科学であり、基礎科学以上に、難解でフラクタルな科学である。そこでの「学び」は、メンターとの初期的な出会いとその後の自己投企にかかっている。

 新人の先生方の勇気ある自己投企とそれに見合うだけメンターが本学に多数いることを信じている。