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No.22|国際化の道険し

  • Four Ring Newsletter
  • 2017年01月12日

 「万延元年の咸臨丸」から「平成の医療輸出」

1、万延元年の咸臨丸
 医局に、ある先生から戴いた咸臨丸の大型模型がある。手作りの豪奢なレプリカである。咸臨丸は、近代日本のグローバル化の象徴である。安政2年(1855年)、幕府がオランダに発注し、建造され、万延元年(1860年)に日米修好通商条約を締結するために太平洋を渡っている。若き日の、勝海舟が、福沢諭吉が遥か太平洋の彼方のアメリカ合衆国を目指した。咸臨丸は、彼らの人生を変え、その後の日本の行方を定めた。
咸臨丸は、近代日本のグローバル化の象徴である一方、最大の成果であった日米修好通商条約締結は、不平等条約の典型であり、太平洋戦争への長い助走と言う側面もある。咸臨丸は、すでに、今日問われているグローバル化の明暗・両面性を予言していた。
 国際化、グローバル化は、つい最近まで、疑うべくもなく世界を魅了した理念であった。グローバル化は、前提条件なく、祝福されるべきものであった。ところがだ・・・、このグローバル化に対する批判的空気が、今、世界を支配しつつある。こと仔細に及ばすとも、ここ数年、世界に起こっている様々な悲惨な出来事、格差拡大、移民問題、テロリズムなどの根っこにグローバル化があるとして、これを否定する思想のうねりが急速に世界を席巻しつつある。
咸臨丸、危うしである。
教室にある立派な咸臨丸を見る度に、「まさか、こんなことになるとは・・・」とため息が出てしまう。理念の一寸先は闇である。そのうち、国際化を声高に言うことが憚られるような空気感がこの周りにも漂い出すのではと危惧してしまう。咸臨丸は、いつの時代も、思えば、順風満帆どころか、荒海、暴風雨の中を難破寸前で航海している。

2、医療の国際化
 「万延元年の咸臨丸」から遅れること、およそ150年、平成の医療輸出が、荒海に乗り出した。医療はもともと極めて内政的なものである。特に、四方を海に囲まれた日本では、医療という制度や仕組みは、医学の国際化とは関係なく、国内的なもので十分であった。何をいまさら、厳しい国際化への逆風の中を異国の地に向けて、荒波の中を船出する必要があるのか? 医療の国際化を考える時に、これを支える理念を見出すことは容易ではない。
 医療の輸出は、前提として、日本の医療が、医学レベル、そして、医療制度や病院機能において他国より優れていることが必要である。確かに、医療の大リーグと言うる米国の最高の医療レベルと比べれば、日本の医療は、マイナーリーグである。しかし、きめ細やかさとコストの低さで対抗できる。
しかし、医療の国際化・輸出が、日本とこれを受け入れる相手側の国民にとって、公益性があるかどうかは立ち止まって考えるべきであるが、このことは、改めて、述べたい。とにもかくにも、医療は、車や繊維と言った、近代日本を支えてきた従来の輸出品とは、全く異質なものである。「手を突っ込まれる」という表現がある。まさに、受け入れる側が一定の社会基盤や医学水準にある場合、「余計なお世話」である。また、医療レベルが明らかに低い国にとっても、車や工業製品を受け入れることは全く別次元のことである。医療は、相手側の国の文化、歴史、社会制度、果てはその国民・民族の死生観と深く関わる問題であり、従来の工業製品の輸出とは似て非なるものである。言い換えると、医療の輸出は、ある意味、究極の輸出の到達点である。医療を輸出して、ビジネス化することに対しては、根本的な抵抗があるばかりでなく、そもそもとてつもなく困難なことである。

3、平成の咸臨丸
 そういう事情を知れば、この平成の時代においても、医療の本格的な輸出を志す同世代人の苦労は、万延元年の咸臨丸級である。国内からは、国民医療を揺るがすものとして冷視線で見られ、あるいは、様々な形で「医療の倫理」に反するというレッテルを貼られる。異国に赴けば、理不尽な法律上の壁、ライセンスの問題、越え難い文化・慣習の違いに立ち向かわなければならない。加えて、本格的であればあるほど、無慈悲な国際政治の影響も大きく受けることになる。行くも地獄、帰るも地獄である。
 しかも、インターネットでの遠隔医療の華々しい成果に比べると、医療そのものの輸出成果は、地味なものである。医療輸出は、地べたを這う匍匐前進である。数年間の苦闘の末、わずかに橋頭保が築かれれば上出来である。多くは、成功を約束されていないし、一敗地に塗れる確率も高い。しかし、それだけに、その一歩は確固たるものとなる。
 昨年11月、教室のメンバーが10名以上参加して、インドのSAKRA WORLD Hospitalでの献体を用いた外科解剖実習のために、訪印した。その後、私が、北大病院とSAKRA病院の国際連携病院協定締結のために、かの地に赴いた。
 詳細は、機会を改めて、紹介したい。ただ、かの地で、医療輸出の橋頭保を作るために奮闘している日本人、そして、インドの人々に出会うことができた。筆舌に尽くしがたい艱難辛苦と言えば、彼らにとっては、面はゆいかもしれないが、難行苦行の毎日であろうことは想像に難くない。短期的な国際貢献や相手側に受け入れられやすい人道支援ではないのである。日本式の病院経営を現実に展開し、病院職員や地域住民に理解してもらい、財務的にも安定させる戦いがある。さらに、周囲の優秀な病院との競争もあり、それを勝ち抜かなければならない。
 国際化と言えば、英語の勉強や、留学も確かに一つのステップである。しかし、それは、ほんの初歩に過ぎない。医療の輸出に関わる人々から見れば、それは、アマチュアとプロ以上の差があるように思える。安全な日本食が手に入り、清潔なトイレがあり、英語で仕事ができる外国での受け身の仕事からは、インドの前線の病院輸出での現実を理解することは容易ではないような気がした。かく言う私も、インド滞在は、僅かに2日間であり、これまでのインド訪問も、いわば、表層を撫でただけに過ぎない。
 今回のインド・バンガロールのSAKRA WORLD 病院との連携を先に進めることで、私達も、せめて、彼らの咸臨丸体験の1%だけでも追体験する必要がある。それが、平成の医療の国際化の第一歩である。

平成29年元日

20161219
2016年12月19日調印式の写真
(写真、八島CEO、Satish先生、Swaroop先生)

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1, SAKRA WORLD HOSPITAL

2, 咸臨丸

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