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No.23 | 病院長の始球式

  • Four Ring Newsletter
  • 2017年06月14日

1)病院長の式辞

 病院長になって、最初に面食らったのは、「挨拶」の多さである。病院が関係するセレモニー、イベント、会議、セミナー、講演会の最初は、病院長挨拶である。病院長業務の一つは、病院のシンボルとしての業務であり、「挨拶」はその代表である。また、新任教授の就任祝賀会、あるいは、定年退官の教授の退官記念会など、かなりの数になる。

年度最初や、夏休み前には、院内学校での挨拶もある。教授職ともなれば、学生の前での挨拶は、そこそこに経験する。医学部の学生や大学院生など、薹の立った、ひねくれた元高校生での前での講義や挨拶は、大学教授としての長い経歴があれば、お茶の子さいさいである。

しかし、本物の純真な少年・少女、しかも、病気と闘っている入院中の子供達を前にすると、年甲斐もなく、上がってしまう。入院中・闘病中の小学生・中学生の前で話をするのは、難行苦行である。子供の頃、校長先生の挨拶を聞きながら、「つまらない話」とソッポを向いていた大人びたところがあった。この年になって、まさか、医者の道を選んで、きらきら輝く子供たちの瞳を前に、始業式の挨拶をする羽目になるとは思ってもいなかった。因果応報である。

 そんな多様なイベントが病院長の仕事であるが、まさか、「始球式」をする幸運と責任を仰せつかるとは思ってもみなかった。

 

子供の頃から慣れ親しんだスポーツは、間違いなく、野球である。生まれて初めて見たプロスポーツは、地方球場(円山球場)に一年に一度、まるで、お祭りの興行のようにやってくる読売巨人軍とかませ犬のようなセ・リーグの一球団(どこの球団かは全く記憶にない)の公式戦であった(申し訳ないが、子供の僕には、巨人が試合で勝つために、同伴させる球団としか思えなかった)。外野席から、国松外野手や柴田勲の背番号を夢のように見ていた。長嶋のサヨナラホームランもテレビで観た。

医者になってからも、医局対抗野球大会では、今は、誰も信じてくれないし、また、証人もいないのだが、3打席連続ホームランでMVPになったこともある。つまり、野球には自信があった。体調、気分とも爽快な時には、病院長室、教授室、場所を問わず、シャドウ・ピッチングをする。気分は、田中将大か、大谷翔平である。キャッチャーとのサイン交換から始まって、数回、首を横に振り、おもむろに、球種とコースを決める。大きく振り被り、足をダイナミックに踏み出し、右腕を鞭のように撓らせながら、自慢のツーシームをキャッチャーミットのど真ん中に投げ込む。パーンと乾いた音がして、速球がキャッチャーミットに収まる。気分は、野球少年である。全て、妄想ではある。病院長の数少ない、職場におけるリラックス時間である。この妄想が、思いがけない形で、実現することになった。

 

2)猛練習の日々

まだ、初雪も見ない頃だから、10月であったように思う。

「先生。始球式、やってみませんか」。ある方から、翌年4月初めのプロ野球公式戦開幕シリーズの始球式の投球の誘いを受けた。「誘い」と言うのは、始球式を経験した今から思えば、傲慢な言い方だ。これほど幸運な、また、得難いオファーなどそうそうはないのである。正直、お金や地位だけで得られる機会ではない。まさに、有難い機会であった。それを図々しく「オファー」と感じた自分が、今思えば、恥ずかしい限りである。深い思慮もなく、「喜んでお引き受けいたします」と、横綱昇進の口上のようなことを言ったことを覚えている。

 瞬く間に、始球式まで、3か月くらいが過ぎた。というよりも、始球式のことなど、失念していたと言った方が正しいように思う。本番まであと3か月の1月中旬のある日、始球式関係者が、病院長室が現れた。表敬訪問程度のことと思い、多忙な時期でもあり、取り敢えず、秘書に対応してもらった。

関係者が帰ってから、「先生! 大変ですよ!」と、滅多なことで驚かない秘書が、珍しく慌てて、話を伝えてきた。話を聞いていくうちに、動揺した「ことの重大さ」が見えてきた。僕の想像していた始球式は、スーツの上着を脱いで、ファイターズのユニフォームを羽織り、ひょいと凡そホームベースの方向に抛って、「はい、お疲れ様」くらいのセレモニーであった。しかし、日本ハムから来られた方や紹介して下さった担当者からは、思いがけない厳しい話があった。

 「しっかり練習して下さい」「練習場がなければ、相談して下さい」「まさか、野球をやっていないなどと言うことはありませんよね」「勉強ばかりして、医学部に入ったんじゃないですか?」「始球式の日は、3時間前には、いらして下さい」「始球式の後は、関係者の方を呼んで慰労会です」「とにかく、ストライクを投げてくれないと盛り上がりませんから」・・・という、驚愕の話。病院長室には、練習用にということで置いていった30個あまりの公式球が残されていた。

 「話が違う」とは、このことである。多少の練習が必要なことくらいは意識していた。しかし、このセレモニーの規模の大きさは全くの想定外であった。何より、投球の質まで、問われるとは、全く想像もしていなかった。しかし、冷静に考えれば、昨年の日本一の球団(2016年のペナントレースで日本ハムは、日本シリーズにも勝ち、日本一になっていた)の開幕シリーズの始球式である。間違いなく、満員、立錐の余地のない4万人の大観衆が札幌ドームを埋め尽くすであろう。そのど真ん中で、妄想の中でヒーローになっていた病院長が、投球をするのである。おそらく、左バッターボックスには、首位打者にもなった西部ライオンズの秋山外野手が立っているのである。受けるキャッチャーは、WBCにも選ばれた日本を代表する捕手である大野選手に違いない。そういう、具体的なイメージが突如として伸し掛かってきて、めまいがした。

 

 翌日から、慌てて、始球式までにできることを開始した。日程調整を行った。病院長業務は、どんな些細なものでも手抜きしない。その代わりに、週末や昼休み、夜の時間帯に、可能な限りのトレーニング時間を入れた。結果として、僕のスケジュールは、数分の面会も入れられないほど、隙間なく埋まってしまった。

次に、練習のパートナーを探した。練習は一人ではできない。脳神経外科教室の野球部の主要なメンバーである伊藤先生と東海林君にメールを入れた。「4月2日に、日本ハム対西武ライオンズの開幕シリーズの第3戦の始球式をすることになったので、練習に付き合ってほしい」という内容である。二人とも、脳外科医であり、専門医試験を合格したばかりで、極めて多忙な診療に追われている。お気楽な病院長の道楽の野球などに付き合っている暇などないのである。とは言え、彼らは、僕の部下であり、何より、無類の野球好きである。二つ返事で、練習相手を引き受けてくれた。練習場は、球団側も考慮してくれて、週末の室内練習場などを確保してくれた。

さらに、平日の練習も必要であろうと考え、北大体育館の練習枠を、職員野球部に頼んで、確保した。病院事務職員のOZAさん、ISHさんに頼んだ。快諾と言うよりも、病院長の依頼とあれば、断ることのできないものであったかもしれない。ネット投球(捕手を座らせないで、ネットに向かって、どんどん投球し、力加減や球離れを確認する練習方法)が必要であるが、公式球は、もったいないので、amazon.comから、硬球の公式練習球を90球購入した。さらに、投球理論では、世界一とも言われている元巨人軍の桑田真澄投手の投球理論の本を数冊購入した。実際には、ほとんど読むことはなかったが、優れた本である。我ながら、根っからの理屈屋である。

 万全の準備があってこそ、自信を持って、4万人の大観衆をあっと言わせることができる。「一病院長などと甘くみてはいけないぞ・・見よ!」と渾身の一球が、大野捕手のミットに吸い込まれる。ライオンズの一番バッターの秋山外野手のバットが空をきる。次の瞬間、ドームを揺るがす大歓声と大観衆のスタンディング・オベーションが北大病院長を賞賛する光景をイメージする。このあたりは、改めて、生来の妄想家の面目躍如である。

 

 その妄想は、練習初日に絶望に変わった。肩の衰えは、想像を遥かに超えていた。さらに、ボールを離すタイミングが全く分からないために、力投すれば、暴投、暴投の連続。練習の時から、関係者が集まり、見つめる中、虐め、パワーハラスメントの状態である。「先生。力まず、ゆっくり、山なりでいいですよーーー」と言うコーチのアドバイス。自ら、コーチを引き受けてくれ、休日にもかかわらず、室内練習場までかけつけてくれた野球オタクのMASさんの期待がずっしりと肩に伸し掛かる。アドバイスに従って、球を置きにゆけば、今度は、捕手のミットに届かない。この無間地獄の繰り返しに心が折れてくる。情けない。おまけに、たかが練習で数名に囲まれているだけで、すでに、プレッシャーに負けて、力が出せない。こんなメンタルで、病院長がよく務まるものだ。

 練習の日々と言えば、「練習」に失礼な程度の、僅かの練習時間であった。結局、3カ月の間に、数回の練習ができただけであった。思えば、国立大学病院長の激務の中で、突然、野球の練習時間を組み込むことは土台無理、無謀であったことを思えば、賞賛されるべき努力であった。

 

ほぼ、1000球の投球練習の猛練習の日々を終え、ついに試合前日となった。

恐れていたことであるが、前々日、全力投球を繰り返したために、肩が限界を超えていた。前日の夜には、肩が上がらない状態となっていた。皆が心配していた最悪の事態であった。知り合いの整形外科の医師に連絡したところ、痛み止めを肩に直接注射すれば、数時間は投球できる程度にはなるとのことであった。深夜まで悩んだが、医師たるもの、ドーピングされるような事態ともなれば、一大スキャンダルとなるはずだ。「北大病院長、始球式で、使用禁止薬剤使用」と言う翌日の朝刊の大見出しが目に浮かんだ。注射は断念した。

 

3)札幌ドーム

 肩の痛みで寝付かれない長い夜と「ボールを投げても投げても、手から離れない」というオカルト的悪夢から目が覚めれば、朝6時半である。

ついにその日が来た。家内もさすがに朝からテンションが高い。タクシーで、札幌ドームに向かう。関係者入り口から入場すると、お祝いの花がずらりと並んでいる。「そうか、こうした開幕シリーズは、お祝い事だから、祝意を示す花を出すものなのだ」と思い知らされ、最初から、バツが悪い。この花輪の列に、「北海道大学病院長」の花輪がなければいけなかった。

この期に及んで今更悪あがきとは知りつつ、最後の練習とウォームアップのために、直前練習をお願いして、室内練習ができるスペースで、少しピッチング練習を始めた。痛みのために上がらなくなった右肩が、悲鳴を上げる。

すると、後ろの方で、「ヤー!」「ハーイ!」という甲高い若い女性達の声。振り向くと、向こう側で、日本ハムのチアーガールであるファイターズガールズが、リハーサルの真っ最中である。チアーガールのきびきびとしたその動き。実に整然と統一され集合離散。集まれば、その中央の女性が、高く跳ね上げられ、パッと開脚して、着地する。その真剣さと運動能力の高さに圧倒される。彼女達は、立派なアスリートである。見ている僕は、呆然自失である。また、心が折れる。

 さらに、グランドに案内されると、両チームの選手が、当然のことながら、試合前の練習をしている。間近に見る一軍のプロ野球選手には圧倒される。バッティング練習中の西部ライオンズの中村三塁手が軽く振りぬくと、あの重い公式球が、ピンポン玉のように、レフト外野スタンドに消えてゆく。あるいは、地を這う打球を事も無げに捕球し、矢のような送球を一塁手に送る。全てが、プロフェッショナルの真剣勝負の世界である。自分の存在が、実に場違いだと思い知らされる。ちゃらちゃらしたお遊び病院長の出る幕ではないことは明らかである。逃げ出したいとは、このことである。試合開始時間が迫るにつれて、周囲の関係者もピリピリし始める。

 緊張と場違い感で呆然としているうちに、いよいよ試合開始のセレモニーが始まってしまった。両監督への花束贈呈も夢の中にいるような気持ちで見ていた。「病院長、こちらへ」と促されて、三塁側に立った審判団の間に立たされる。プロレスラーのような審判の体格の立派さに圧倒され、改めて、自分が小男であることを思い知らされる。

テンションが下がっているところに、さらに、思いがけない厳しい言葉が浴びせられる。きっと、審判からは、「リラックスして、楽しんで下さい」と言う励ましの言葉を当然のことと期待していた。しかし、主審から、「さっさとマウンドに行って、投げ終わったら、余計なことをしないで、ホーム方向に戻りなさい」と命が下された。もう、病院長の威厳も立場も、ここでは、何の神通力も全く無縁の世界である。プロ野球の審判にとっても、公式戦のグラウンドは、神聖な場所なのだ。思えば、我々の手術室に、マスコミなどの部外者の取材などをやむを得ず許可することがあるが、それと同じである。実に、冷たい待遇となる。神聖なる手術場に、そもそも、素人は足を踏み入れるとは、いくら許可したこととは言え、図々しいにも程がある。

 

 全てが想定範囲内で、4万人の観衆の視線をほとんど集めることなく、病院長の始球式は実に静かに終わった。「ウウォー」という小さなどよめきは、僕の抛った球が、山なりのワンバウンドであったからである。捕手の大野選手が見事にキャッチしてくれ、埼玉西武ライオンズの一番バッターの秋山外野手は、見事な空振りをしてくれた。思えば、一番バッターの秋山選手は年がら年中、こうした素人さんのセレモニーにお付き合いしてくれている、まさに始球式のプロである。よく、意図的な空振りを繰り替えし、調子を狂わせないものだと感心する。その背後で、あの毅然たる主審も、力強く、右手を高々と上げ、ドームに響き渡る「ストライク」をコールしてくれた。日本ハムの先発のエスコバー投手という大男が、横で、無表情で見つめていた。

 夢のような時間であった。「最初で最後」と言う言葉がある。しかし、人生には、実際には「最初で最後は」そうそうはない。これで最後と思っていても、実際には、同じようなことに何度か遭遇するのが、人の人生の丁度よい長さである。しかし、天地神明に誓って、札幌ドームでの病院長としての、始球式は、生涯、これが最初で最後になることは確信している。一球入魂とは、まさにこのことである。「暴投しても良いから、渾身の力を込めて、男らしく自身マックスのスピードに挑戦すべきだったのでは」とか、「あの威圧的な主審の恫喝に負けず、もう少し、パフォーマンスをして、マウンドでの時間をかみしめるべきだった」とか、心残りや不完全燃焼感は、何時の時でも付きまとうものである。しかし、思えば、緊張のあまり粗相するとか、自分の専門である脳卒中を発症しマウンドで倒れるとか、思いがけない、とんでもないアクシデントも起こり得るのが、人生である。それを思えば、無事これ名馬である。

 

4)監督と病院長

全て、妄想の通り、練習の通りに「病院長の始球式」は終わった。

まるで、決定論的なシナリオがすでにあったかのように、特別なことは何も起こらなかった。夢とストレスの3カ月の狂騒曲は、こうしてエピローグを迎えた。病院長をやっていて良かったと思う日など、そうそうない。この始球式は、数少ない、そんな一日であった。

始球式前には、「人生の罰ゲーム」などと、心にもない捻くれたことを、周囲に漏らしていた。実際は、人生のご褒美の一日であった。このような機会は、60過ぎの衰え激しい小男に与えられたのではなく、たまたま、僕が大学病院長であったからに過ぎない。職位に与えられた名誉や報酬や機会を自分の徳や能力に与えられたものと混同することは愚かなことだと思う。しかし、この世の中、立場が人を作るのも本当である。言い換えれば、不運や不遇により、優れた能力や徳がありながら、立場を与えられずに、才を持て余す人生を送る人もいる。「病院長職」を経験した人生とそうでない人生は、僕にとっては、随分と違ったかもしれない。少なくとも、4万人の大観衆の見つめるマウンドに立つことはなかったはずである。

僕の始球式を仰せつかった試合、日本ハムは、守備の崩壊で敗れ、この試合を喫替えにしたように、10連敗を含む、信じがたい大きな負け越しで開幕の4月を終えた。会う人毎に、「先生の始球式の後、日本ハム、不調だよね・・・貧乏神じゃないの」と言う、理不尽な非難である。とは言え、引き金を作ってしまったとは言えないまでも、気にならないはずがない。幸い、5月に入って、ようやく、調子を取り戻し、このチームらしいゲームが続いた。

 

日本ハム球団は、毎年、北大病院に訪問してくれている。交流戦と言われているセントラルリーグとの連戦が始まる前に、栗山監督と主力選手5名が、北大病院入院中の子供達をお見舞いに来てくれる。来院すると、まず、病院長室を訪問してくれる。もし、4月の不調から抜け出せない場合には、話が弾まないどころか、栗山監督が休養などという、あってはならないことも深刻なこともあり得た。とにかく、5月に入り、大きく勝ち越し、借金を大きく返済し、上昇気流の中で、病院訪問を迎えてくれた。まさに、慶事である。

栗山監督は、僕の病院長の期間、毎年、北大病院を訪問してくれている。プロ野球の監督と大学病院長は、大きな組織のリーダーを契約で委嘱されているという点では、近いものがあるかもしれない。

しかし、そのような言い方自体が、不遜である。プロスポーツの監督の厳しさは、筆舌に尽くせぬものである。まず、監督業は、成績が日々明確であり、その責任を透明性の中で、完全に負わされている職業である。10連敗などしようものなら、このネット社会である、バッシングの嵐、罵詈雑言の雨あられである。実際、ネット中継でのファンのツウィートなどは、よくぞ、そこまで口汚く罵れるものだと思われるような使用禁止用語の連発である。無責任なツウィートは、無視することができても、テレビやスポーツ新聞は見ないわけにはいかないはずである。一体、どんな気持ちで、激しい非難に堪えているのであろうか。さらには、辛い辛い監督コメントまで出さなければならない。おそらく、球団側からも、成績次第では、何らかの勧告や呼び出しもあるのかもしれない。実際、これまでも、プロ野球やプロサッカーの監督が、シーズンの途中で、責任を取って交替と言う報道は数えきれない。そうした更迭された監督の多くは、失意の中に、華々しい表舞台から消えていく。

大学病院長に例えれば、毎日、手術件数や診療収入、在院日数、稼働率が報道され、大学学長や所轄官庁である文部科学省に報告されるようなものである。そんなことがあれば、全国の大学病院長の半分は、心を折られ、胃に穴を開けられ、成績不調の責任を取って、任期途中での交代になるはずである。

実際には、幸いなことに、日々の成績どころか、多少の営業成績の悪さは、問われないものである。よほどのことがない限り、契約期間中の更迭もない。何という緩い仕事であろう。少しは、プロ野球監督の爪の垢でも煎じて戴くべきかもしれない。野球に限らず、プロスポーツの監督、恐るべしである。メンタリティの強さは、想像を絶するものがあり、また、責任の取り方も、これほど明確で、潔い、透明性の高いものはない。

 

そのようなわけで、栗山監督とお会いすると、もう、仰ぎ見るような気持ちで、こちらは舞い上がってしまう。監督と病院長の話となれば、スポーツと怪我のことが、当たり障りのない話となる。監督には申し訳ないことであるが、ついつい、毎年、判で押したようにこの話となる。組織の目的の組織の構成員の幸せは、本来、利益相反すべきではない。要するに、選手や球団職員に匹敵するのが、医師や看護師、病院職員であり、チームの勝利に匹敵するのが、診療内容の向上や地域医療への貢献を通した患者の幸福である。

ただ、プロスポーツでは、激しいプレイや行き過ぎたパフォーマンスのために、選手生命に関わる事態起こり得る。「チームの勝利」と言う大義の名の下に、一人一人の選手の幸せが脅かされることをどう考えるかは、難しい問題である。

例えば、ホームベース上でのクロスプレイの際の激突であり、バッターに恐怖心を与えるために厳しい内角攻めの結果として起こる危険球の問題である、いずれも、選手生命を脅かすラフプレイである。ただ、それを持って、チームが勝利したり、あるいは、観客の感動や興奮をもたらしたり、球団の興行成績を引き上げたりすることも事実である。これに関して、栗山監督の考えは明確である。プロ野球は、格闘技ではないのだから、過剰なラフプレイは不要であり、選手を守るべきであるとの考えであり、これは、相当に強い意志を持っていらっしゃる。

病院に関して言えば、日々戦場と言うほどのことはないし、日常診療で、躰を張ってと言うことはあり得ない。選手の生活と健康を思い遣りつつ、一方で、毎日が勝ち負けと言う戦場を生き抜いている監督である。始球式でも笑顔で迎えてくれた。改めて、場違いな始球式のマウンドであった。

 

入院中の子供達との交流が終わって、会議室に戻ってきた監督が、いわゆるぶら下がりの大勢の報道陣の取材に応えている。

記者「交流戦、決意のほどを」

監督「一戦一戦ですね。主軸に当たりが出てきたので、何とか、借金を返済して、一歩一歩という思いです」

記者「ファンの皆さんに一言、お願いします」

監督「そうですね。4月はご心配をおかけしました。まだまだ、僕の力が足りなくて、チームの状態は完全ではありませんが、喜んでもらえる戦いをお見せしたいと思います」

記者「栗山監督でした。ありがとうございます」

 

 その様子を陰から見ながら、妄想がまたぞろ。

記者「病院長、素晴らしいストレートでしたね」

病院長「春から、投げ込みましたから、自信を持って、抛りました」

記者「始球式で、150キロは、これまでの記録ですよ」

病院長「応援してくれた病院の職員、特に、始業式で挨拶を聞いてくれた入院中の子供達のためにも、全力投球しました」

記者「病院長、満員のドームにファンに一言、お願いします。」

病院長「病院長、サイコー!!!」

 

 妄想癖に付ける薬はない。

 

平成2969

 

 shikyuushiki

                                                    投球 横に先発のエスコバー投手

 

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                                                                         満員の札幌ドーム