北海道大学 大学院医学研究院 脳神経外科

沿革

開設からの概要

北海道大学医学部附属病院における脳神経外科の診療は、昭和33年1月、都留美都雄が5年余りにわたる米国留学から帰国してから、第一外科学講座、精神医学講座の一部門として、本格的に行なわれるようになりました。都留美都雄は、昭和18年9月に北海道帝国大学医学部医学科を卒業したのち、北海道帝国大学医学部産婦人科、北海道大学医学部第一外科を経て、昭和27年5月、アメリカ合衆国へ留学しました。Albany Madical School、Medical School of Harvard University、Medical School of Tuft Universityにて脳神経外科の研鑽を積まれました。帰国後、昭和33年7月24日、都留美都雄は精神科医学講座の講師に任ぜられ、東病棟の完成とともに定床18(大部屋4室、個室2室)も設置されました。18床のベッドは初日から満床になったと言われています。昭和34年2月、都留美都雄は精神医学講座の助教授に昇任しました。昭和36年には診療チームの体制が整ってきたので、都留美都雄が留学中に経験してきた6年間のレジデント研修システムが開始され、現在まで北海道大学脳神経外科の大きな特徴となって続けられています。

阿部 弘
北海道大学名誉教授が
瑞寶中綬章を受章
されました

平成27年年度の春の叙勲で、瑞宝中綬章を受賞しました。5月13日、国立劇場(東京)で文部科学大臣より勲章をいただいた後に、皇居の“春秋の間”にて天皇陛下の拝謁をうけました。私は数mの近さで天皇陛下のお顔を拝見することができました。陛下は「国のため、社会のため、人々のために尽くされた苦労に感謝いたします」と述べられました。8月には、教室および同門会主催の祝賀会を開催していただき感謝しております。

私は昭和36年に北大医学部を卒業して以来、米国留学と釧路労災病院勤務の4年間を除いた35年間を北大医学部及び病院で教育、研究、及び診療に従事してきました。諏訪望教授(精神医学)には、医師としての人格形成の礎となる薫陶をうけました。都留美都雄助教授(脳神経外科)には、脳神経外科の臨床と研究を教えていただきました。昭和40年に脳神経外科が講座として独立するまでの数年間、都留美都雄助教授(当時)以下10名弱の先輩の先生方と診療に従事した苦労が、その後の私の生き方の根幹となりました。昭和59年都留美都雄教授の後任として私が教授職を拝命してからは、私は主として頸椎後縦靭帯骨化症、脊髄髄内腫瘍、脊髄空洞症などで実績をあげましたので、海外から多くの患者が北大病院へ送られてきました。また、私は手術機械をかついで海外へ手術にでかけたことも数回ありました。私が外国を飛びまわっている間に、教室の先生方は診療、研究、及び論文発表に活躍してくれました。採用がもっとも厳しい米国脳神経外科学会(AANS)で、毎年日本から採用される演題は、わずか2~3題でしたが、北大からは毎年かならず1~2題採用されて、教室の実績は日本を代表するものとなりました。

私の社会活動としては、厚生省特定疾患対策研究事業評価委員、北海道特定疾患対策協議会委員、地方公務員運営補債基金審査会委員、自動車保険料率算定会顧問医、自動車事故対策機構顧問医、札幌地方裁判所調停委員及び専門委員などであり、自動車保険、及び事故対策機構の顧問医は現在も続けております。

このたびの私の受章の対象となったのは、主として北海道大学に於ける教育・研究・診療の実績と思われます。その間に於ける同門の先輩及びに後輩の先生方の御指導と御支援に心から感謝の意を表します。

阿部 弘

歴代教授

初代教授

都留 美都雄

昭和40年~昭和59年

昭和40年4月には国立大学としては第3番目の脳神経外科学講座と診療科が設置され、初代教授に都留美都雄が就任しました。病室は大部屋2室、個室2室が増加となり38床となりました。この時期、北海道における脳神経外科診療を飛躍的に発展させた功績は大きく、現在もきわめて高く評価されています。都留は、昭和45年11月17~19日には日本脳神経外科学会総会、昭和59年には日本神経学会などの学会を会長として主催しました。また、昭和50年9月には脳神経外科学講座開設10周年を記念して、「北大脳脳神経外科10年の歩み」が発行されました。この中には脳神経外科学講座の生い立ちと発展が詳細に記されていて、当時の雰囲気がよく伝わってきます。

第2代教授

阿部 弘

昭和59年~平成12年

瑞寶中綬章を
受章されました

昭和59年には、第2代教授として阿部 弘が就任しました。阿部 弘は、昭和36年3月に北海道大学医学部医学科を卒業し、北海道大学医学部助手、同附属病院講師を経て、昭和44年6月~昭和46年12月、米国オハイオ州立大学に留学し、昭和48年、北海道大学医学部助教授となったのち、当講座を担当されました。阿部 弘は、脳腫瘍、脳血管疾患、脊椎脊髄疾患に関わる臨床的、基礎的業績を数多く生み出し、国内外からきわめて高い評価を受けました。また、平成7年からは北海道大学医学部附属病院長を併任されました。当教室が主宰した学会も数多く、日本脳腫瘍カンファランス(昭和57年)日本脳神経外科コングレス (昭和62年)、日本パラプレジア医学会(平成元年)、下垂体腫瘍ワークショップ(平成2年)日本脊髄外科研究会 (平成4年)、日本頭蓋底外科学会(平成9年)、日本脳卒中の外科学会 (平成10年)、日本脳神経外科学会総会 (平成10年)、国際脳腫瘍カンファランス (平成11年)などが開催されました。平成10年4月には大学院大学への移行にともない、脳科学専攻神経病態学講座脳神経外科分野となりました。

第3代教授

岩﨑 喜信

平成12年~平成21年

平成12年8月には、第3代教授として岩﨑喜信が就任しました。岩﨑喜信は、昭和46年3月、北海道大学医学部医学科を卒業し、北海道大学医学部助手、同講師を経て、昭和60年7月より米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学し、昭和62年12月に北海道大学医学部助教授となったのち、当講座を担当されました。脳神経外科の分野では各疾患に対する外科治療成績は年々向上し、飛躍的な発展を遂げました。MRIやMEG、PETといった高度な診断技術の発展がそれを強力に支えました。分子生物学的アプローチもさかんに行なわれており、脳腫瘍の遺伝子診断、脊髄損傷の受傷メカニズム解明、虚血脳の病態解明などが21世紀の医療の姿を模索しました。また、より幅広い診療・研究を目指し2005年から診療科名を「神経外科」とあらためました。

第4代教授

寳金 清博

平成22年~平成31年

平成22年には、第4代教授として寳金清博が就任しました。
寳金清博は昭和54年3月、北海道大学医学部医学科を卒業し、昭和61年より米国カリフォルニア大学デービス校に留学、北海道大学医学部助手、北海道大学医学部附属病院講師を経て、平成8年には文部省在外研究員として米国スタンフォード大学、英国王立神経研究所に留学いたしました。その後、平成12年に北海道大学大学院医学研究科助教授、平成13年に札幌医科大学脳神経外科教授を歴任したのち、平成22年から当講座を担当されました。
また、平成25年からは北海道大学病院長、北海道大学副理事を、平成29年からは北海道大学副学長をそれぞれ併任されました。
“学ぶ・極める・伝える”のコンセプトのもと、この期間、多くの医学博士を輩出いたしました。国際的な交流も活発に行われ、海外への留学や海外からの研究員の受け入れなどが多く行われました。
平成25年には当教室は開講50周年を迎え、50周年記念祝賀会を開催いたしました。
当教室が主催した学会も多く、日本脳卒中の外科学会(平成23年)、International Mt BANDAI Symposium for Neuroscience(平成25年)、International Moyamoya Meeting (平成25年)、日本分子脳神経外科学会(平成25年)、日本脳循環代謝学会総会(平成25年)、日本脳神経外科学科学術総会(平成27年)、日本脳卒中学会総会(平成28年)、国際臨床医学会学術集会(平成29年)、国際観光医療学会学術総会(平成30年)などが開催されました。